クルーズマーケットのカギを握るのはユダヤ系富裕層 

 

アメリカのユダヤ系人口は、1987年の時点では、500 万人で、アメリカの総人口 に占める人口比率が、2%前後(2020年においては約650 万人)

その人口比率からの考えられないほどの影響力をもち、特にアメリカの経済や政治の 4 分の 1 を左右するといわれていたのです。

彼らの経済力、社会組織力は、アメリカのマ イノリティー 社会でも際立っていたのです。

この傾向は、旅行業界においても当然見られた。

旅行業界においては、その主流とするところは、彼らの先祖は、移民枠のない頃にアメリカに渡ったのです。

ロシアに加えドイツ・ポーランドやオーストリアなどの中欧系の ユダヤ人を親に持つ第2  代が多かったようです。

彼らの多くは、親の代に、ニューヨークなど東岸の都市や繊維産業に代表される都市に集中していました。

戦後、アメリカの経済が大きく変容。

南北戦争後の繊維産業から、第 2 次世界大戦前後には、鉄鋼産業・自動車産業・軍需産業への産業基盤の拡大に伴い、 新しいサービス産業なども加わり、中部・西部の大都市は隆盛を極めていたのです。

このため新しい仕事 を求めて、東岸に点在していたユダヤ系アメリカ人も、この新しいアメリカ経済の核地「五大湖工業地地帯」にある都市に「集団的に」移動・移住する傾向が見られました。 

この時代、すなわち、親の世代に新しい仕事を求めて中西部に移住してきた世代の第 2 世代が、 中西部の都市部で、大きな人口の比較的豊かな人たちの)瘤を形成しつつありました。

彼ら自身は、 中西部生まれの海を知らない世代でもあったのです。

当時は、北欧系やドイツ系の移民の多くは、アメリ カ中西部の都市部やアメリカ西海岸における新興都市、ロサンゼルスやサンフランシスコの住宅建材供給基地としての林業などで、生活をしていたのです。

その彼らの居住地、ミネソタやミシガン・ウ イスコンシンでの厳冬を避け、南に避寒地を求めていた。 

※注:イスラエルには、550 万人、口シア、1900 年で 400 万人、現在 100 万 人と言われる

このようなヨーロッパ系移民やユダヤ人社会の周りには、(旧ヨーロッパ祖国への) 里帰り便の手 配などが旅行代理店の仕事の関係で、小規模旅行代理店が多かった。 例えば、ユダヤ系社会の大き いシカゴ近辺には、ポーランドの航空会社 LOT (1973 年よりニューヨーク・ワルソー直行便開設)等と提携し、ポーランド系移民を対象 とした里帰り便専門の会社が多くあったが、彼らも、彼らが抱 えるユダヤ系客層の旅行に対する変化を嗅ぎ取っていた。 

 彼らのユダヤ系顧客は、以前から、厳寒の冬を避け、キューバなど南の島々に、 快楽を求める人 たちでもあった(「スノー・バード」)。アメリカの航空業界、パン・ アメリカン等の所謂国際線の 急激な発達と重なり、ポーランドの冬に似た内陸のシカゴからの逃避を求め、新しい太陽を求めた 旅の形に憧れていたので、旅行代理店としてもセールスの方向を転換せざるをえなかった。 

この様な客層には、彼ら特有のシナゴーグ等の集会や互助共同体的な生活パターンを介して、キ ューバ観光などに、更なる注目が集まっていたが、カストロ政権の出現で、行き先が無くなったのです。

その多くは、自動車の普及と共に、フロリダ州(マイアミなど)や、急激な娯楽性を高 め逗留型の観光都市としての地位を固めつつあったラスベガスへと人は流れたのです。

その後、カストロ出現から、数十年を経て、 再びカリブ海には、クルーズ客船が就航し始めたのです。

彼らもこの主要客として、再度カリブ海方面に繰り出しつつあったのです。 

私はロサンゼルスのユダヤ系旅行者を扱っていた旅行代理店との昼食時に、なぜ 彼らが「海」という 願望が強いのかと聞いた事がありました。

彼らの答えは単純でした。

「多くの客が、中・東欧からの出身者で”海を見たことが無い」

と言うものだったのです

この巨大な大陸の中西部では、空路網の発展なくしては、旅行業は発展し得なかったと思われます。

この深層心理が、中西部の季節移動型の「スノ ー・バード」族を支えているのです。

彼らを送り出す旅行代理店としては、航空産業の規制緩和などの動きで、料金体系が複雑化。

その一方で、収入が減りつつあった里帰り便や航空旅行よりコミッション の大きいクルーズ旅行など、ラグジュアリー商品 を扱う傾向が顕著になったのです。

しかも、個人的なネ ットワークで、営業を行うスタイルでありながら、彼ら社会の地縁・血縁などやシナゴークの教区といった特殊なネットワークや交流の機会などもあり、人的な繋がりが深く、堅く、高額商品を扱 うニッチ・マーケットでした。

リピーターとして、繰り返し乗船する傾向が強いことも彼らには好都合だったのです。

従って彼らは放置できない客層であり、船上での「体験価値」を売るク ルーズ客船にとっては最も貴重なマーケットであったのです。 

帝政ロシアや中・東欧から逃れてきたユダヤ人作曲家たちは、戦前、戦後のアメリカの音楽界や映画界を支えてきた。

例えば、アーヴィング・バーリンの

「イースター・ パレード」

「ホワイト・クリスマス」

「ゴッド・ブレス・アメリカ」、

ジョージ・ガー シュウィン

「ラプソディ・イン・パリ」

「パリのアメリカ人」

ロジャース & ハマーシュタイン

「回転木馬」

「南太平洋」

「王様と私」

「サ ウンド・オブ・ミュージック」

などは、クルーズ旅行者にも大きな影響を与えていたのです。

1995年に就航したラグジュアリークルーズ船「クリスタル・ ハーモニー」就航後の1 年間は、彼らの音楽などを中心とした舞台構成を演出していた模様です。

言うまでもなく乗船客からの評判は大好評。

その後、3〜4 年は彼らのショーはいつも満員御礼でスタンデング・オベーションであった事実があるのです。

 

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